きっと躁だ

こんにちは、ザクザク食感です。

ここ数か月、あまり家で音楽を聴く気になれなかった
なんとなく音楽の気分じゃない、とかではなく、音楽を聴くと寂しくなるというか、心が何か思っている感じがして音楽を受け付けなかった。何を聴いても心が動かないというか、音という情報として処理されいている感じがした。
それでもライブに行くとやっぱり音楽って最高~と感じていたので、心の浮き沈みの問題ではないこともわかっていた。
とは言っても、仕事や作業の時間はほとんど耳が空いているし無音だと不安になってしまうので、最近はラジオとか配信を垂れ流して過ごしていた。

今日は出社日で、会社のデスクでも仕事をしながらかまみくを聞いていた。
昼過ぎになって、ちょっとサボろう~と思って会社を抜け出してスマホを開いたら、サンクラの通知が来ていた。好きなアーティストの新曲が出ていた。

キャップは? · aaaaaaaaaaa

曲というか一発ギャグの音MADみたいな感じだし、便宜上貼っているけど全然これを読んでいる人に聴いてほしいとかではない。でもくだらなすぎて笑った。
サンクラは一度曲を再生すると関連する曲が無限に流れ続けるシステムなので、歩きながら流しっぱなしにしていた。

すると、今日はなぜか耳が全然拒否しなかった。めっちゃ楽しい!なんで!?
耳が音の並びをちゃんと音楽として聞いていて、初めて聴く曲でも上手く咀嚼できている気がする!
今日はいける日なのか!?と思って、zippzapperのEOTIリミックスを聴いた。1:51からのこの曲で一番気持ちいいところがちゃんと気持ちいい!!!!!ここで今日はいけると確信した。

音楽を聴けないのは僕の感性が薬で死んだからなのかどうかをとにかく確かめたかったので、以前は生活の環境音だったのに最近は拒否反応が起きてしまっていた、わたしのヘリテージを聴くことにした。
そしたら、恐ろしく良い!!!!!音が粒みたいに聴こえて、全然違うのに曲のBPMと僕の鼓動が全く同じリズムを刻んでいるような気がして、全てが心地よかった。
ずとまよの2ndアルバムに入っているマイノリティ脈絡を身銭を切って買ったイヤホンで初めて聴いたときのことを思い出した(僕にしかわからない例えすぎる)。
もうしばらく感じていなかった、刺さる曲を初めて聴いたときの初恋みたいなトキメキを思い出すくらいに、音が新鮮に体に入ってくる感覚がした。

そして何より、その曲を聴いていたときの悲しい気持ちや光景を思い出しても、過去のこととして処理できている!!!!!
わたしのヘリテージは、冬休みで実家から逃げることができない状況で、みんないなくなって、変な味のストゼロを飲みながら深夜徘徊することだけが心の救いだった時期に何度も聴いて救われていたアルバムだった。
なので、再生するたびに深夜の公園にしか居場所がない、物理的でも精神的でもある寒さを思い出すアルバムだった。
時期もちょうど同じくらいだし絶対にそのときのことを連想して悲しくなる(というか最近までそうなっていたので受け付けなかった)と思っていたのに、今日は音楽を音楽として、付随する思い出はそんなこともあったな、くらいで受け止められた。

読んでくれてるみんな、この現象が起きた原因ってなんだと思う!?出社だからかな?普通に躁の波が来てるからかな!?
家で音楽を聴く気になれなかった、と最初に言ったが、今家でわたしのヘリテージを聴きながらこの文章を書いているので、環境が原因ではない気がする。やはり躁だったか……
周期的なものだったら嫌だな、今の感覚を手放したくない、作品を自分の感情抜きにしてちゃんと受け取れる、数年前の僕が渇望していた状況がやっと手に入ったのに、病気で心が上振れているせいなんだとしたら悲しすぎる。

それでは、さようなら。


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