こんにちは、ザクザク食感です。
コミティアに出す本を脱稿した。
本をつくるのは人生で二度目だが、初めてつくった本はコピー本なのでちゃんとした本をつくる知識がなく、入稿にかなり手間取った。
コピー本をつくるのも印刷結果の辻褄が合うように自分でPDFをつくる必要があってかなり大変なのだが、印刷所に依頼するのはそれ以上に大変だった。
まずこの世に印刷所が多すぎてどこを選べばいいかわからないし、印刷所によって入稿の仕方が違って、大抵Adobeじゃなきゃ使えない拡張子のファイルに画像を編集しなおさなければいけなくて手間だし、「これでいいのか……?」という不安が残ったままずっと作業をしていた。
まだ完成品を見ていないのでうまくいったのかわからない。15000円もかかったのに!
勢いでコミティアにイラストと日記のまとめを出すことを申し込んだ後、「でも誰がこんなの読むんだよ……」とずっと思っていた。
僕は絵が上手いわけでもないし、かっこいい文章やためになる文章をかけるわけでもない。ただそのとき発生した衝動に任せて絵や文章をかいているので、人に見せるものだという気持ちはあまりない。
そんなものをただまとめても価値がないと思ったので、コミティアで出す本には過去の自分を見て今どう思うかという文章を載せることにした。
一個上のレイヤーから自分を見ることでまだ内容があるものになるかな~という軽い思いつきでやったことだけど、これが案外楽しくもあったし、苦しくもあった。
やってることは自分の日記帳を読み返して読書感想文を書く行為なので、恥ずかしくて死にたくなる。でも今の自分でも共感できるようなことを言っていたり、全く反対の意見を言っていたりしていて、人って変わるんだなと改めて思った。
本という形で人に見せるためのものをつくっている中で、承認されたいという欲求と、自分がしたいことをしたいという欲求のせめぎあいを感じた。
人に自分を見てほしいという気持ちがある割には、今まで描いてきた絵も一次創作のもの(しかもストーリー性もない)ばかりだし、文章もnoteなどの見られるためのプラットフォームではなく、Google検索に引っかからないホスティングサイトに載せている。見られたい割に見られる努力を全然していない。
これについて、自分でも分析しきれていない。昔の僕はもっと人に見られるための努力をしていた気がする。
現状の僕はイナゴ絵師への逆張りをしているのかもしれないし、単純に自分の思考が明け透けになるのが怖いのかもしれないし、みんなに見られる打席に立って勝負して負けるのが怖いから逃げているのかもしれない。
でもコミティアに出ようとしている。自分の作品に値段が付くなんて、たくさんの人に見られることよりもっと怖いことなのに……
---↓ここから今日の文章---
結局自分の根底にはコミュニティへの憧れがあるのだと思った。
一次創作は基本的に見つかりづらいものだと思う。よっぽど絵が魅力的だとか、話が抜群に面白いみたいな見どころがないと見てもらえないし、そもそも内容に触れてもらうこともできないと思う。
でも一次創作をしている人たちの間にもコミュニティがあって、自分のキャラを他の人に描いてもらったり、よその子の二次創作をしたりする文化があって、それがめちゃくちゃ楽しそうだと思う……
自分がそういうことをするには圧倒的に画力が足りないし、自分から人と仲良くなりに行くことができないのでそういったコミュニティに属せない。アイマスの二次創作をやっていたときもそこそこの規模の合作に参加したけど、そこから友達をつくることができなかった。
そういった憧れから、自分も何かのコミュニティに属したい!という深層心理があって、衝動的にコミティアに申し込んだのだと思った。
不安なことばかリだけど、公の場に出て打席に立とうと思えたことが自分にとって大きな成長だと思う。自分のしたいことと人に見られることが嚙み合っていけばいいなと思った。
そのためにはもっと画力を上げなきゃいけなくて、つまり衝動に頼らない創作をしなければいけないのだけれど、いつになったらそんなことができるようになるんだろう……
したいことを継続したりたくさん挑戦できる人は本当にすごい。いつかなれるのかな……
それでは、さようなら。