土下座の価値

こんにちは、ザクザク食感です。

眠れない!!!
ぼーっとしてても眠れないので、その過程で思い出したことをここに記しておこうと思います。


僕が小学校低学年のころのことです。その日は雨で、帰りのバス停にできた水たまりで遊んでいました。
帰りの路線が同じ数人の友達と遊んでいたのですが、その中の一人が僕の長靴の中に泥を入れてきました(いじめとかではなくおふざけで)。
靴下までびちょびちょになってしまって、さすがに遊びの範疇を超えていると思ったので怒りました。

小学生が他人に与えられる制裁の最大火力は「先生にチクること」なので、僕は「もう先生言うけん!!!」とその子に言いました。
当時は厳しめの担任の先生のクラスだったので、その子はそれがよっぽど怖かったのか、顔色を変えて必死に謝ってきました。
僕はこの後ぐちょぐちょの靴下で数時間耐えるのが嫌すぎただけで、別に先生にチクるつもりもなかったので、あまりの必死さに少し驚きました。ですが、その子は調子に乗りやすい子だったので、僕は「もう知らんし!」みたいな対応をしました。

すると、その子は雨ざらしのバス停で土下座をし始めたのです。

今考えるとかなりヤバい(その子女の子だし)状況ですが、当時の僕は土下座のことを知らなかったので、困惑してしまいました。
謝罪の行動なのは理解できたのですが、それが謝罪の最上位の形式なことを知らなかったので、別に許した素振りをみせるわけでもなくそのまま立ち去りました。
するとその子は立ち去る僕に「ここまでしたのに許してくれないの!?」と言ってきました。それは本当にそう。

この事件はなんとなく印象に残っていてたまに思い出すのですが、意味を知らなかったとはいえ普通に僕が鬼畜すぎますよね……
その子とはその後も仲良しでしたが、その件についてはその後も触れることなく別々の中学校になってしまったので、心苦しい気持ちがずっと残っています。ごめんね……


土下座って、自分の位はあなたよりも低いです!地面に頭をつけるほど低いです!という卑下の気持ちを行動にしたものだと思うのですが、それが切り札として確立されているのってすごい文化じゃないですか?共通認識で成り立ってるというか……
これが恥ずかしいことだっていう認識があって、そのプライドがある人が土下座をしたときでないと本当の威力を発揮しないですよね(半沢直樹の大和田常務みたいな)。
逆に、プライドがない人にとっては切り札を撃ち放題だということなので、恥を知るためにも勉強って大事なんだな~と思います。

いろいろ言ってますが、雨の中で自分の体を汚して謝ってくれた友達に対して素っ気ない態度を取った僕が一番ヤバいです。████、本当にごめんね。

それでは、さようなら。


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